「エクスペクト・パトローナム」は何を呼んでいるのか 守護霊の呪文と霊崇拝の歴史

2024年2月29日

『ハリー・ポッターシリーズ』を代表とする「魔法ワールドフランチャイズ」(以降、魔法ワールド)を象徴する呪文のひとつに、エクスペクト・パトローナムがある。幸せな思い出を強く思うことで守護霊を呼び寄せる呪文だ。映画やテーマパークで目にした方も多いだろう。

作中では人の幸せな感情を吸い取り、死に至らしめる闇の魔法生物・吸魂鬼を撃退するのに使われたほか、一部のシーンでは伝言役としての役割も果たしていた。

では、この守護霊とは結局のところ、一体なんなのか?

この記事では守護霊の呪文が呼び出す守護霊というものについて、原作の描写などをもとに宗教史学の観点から考えてみたい。

原作での説明

原作でハリーに守護霊の呪文を教えたルーピンは、次のように守護霊を説明している。

「守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる――希望、幸福、生きようとする意欲などを――しかし守護霊は本物の人間なら感じる絶望というものを感じることができない。だから吸魂鬼は守護霊を傷つけることもできない」

ローリング、2001年 p. 309

エネルギーの放射であるという説明は、一見するともっともらしい。最初に登場した守護霊はもやや霧のような曖昧としたものだった。

しかし、単なるエネルギーの放射とするには、「絶望というものを感じ取ることができない」という言い回しは不自然に思える。それはまるで、感じ取る機能があってもおかしくない存在について話しているかのようだ。

完璧な守護霊は動物の姿を取る。しかもその動物が何になるかは人によって異なり、自分では選べない。魂からの深い感情が守護霊の姿に影響することもある。スネイプの守護霊が牝鹿であることや、トンクスの守護霊が元々ジャックウサギだったのがルーピンへの愛ゆえに狼へと変わったのがその好例だ。

そう考えると、守護霊は単なるエネルギーではなく、エネルギーによって象られた何らかの有機的な存在であるのではないかという仮説が立つ。

問題は、その「何らかの有機的な存在」であるところの守護霊が何ものなのかだ。

原作者の説明

幸いにして、魔法ワールドには原作以外の情報源が与えられている。その中でも最も信頼がおけるのが魔法ワールド公式サイト(旧ポッターモア)にあるJ.K. Rowling Archiveだ。ここに守護霊の呪文についての記事が掲載されている。

残念ながら日本語訳は今のところ用意されていないため、必要に応じて抄訳していくことにしよう。

守護霊の呪文は最も古い呪文のひとつで、黎明期の魔法についての記述に度々登場する。

ローリング、2016年

この記述からまず、ひとつの事実がわかる。守護霊の呪文は吸魂鬼の対策として発明された呪文ではないということである。

同じく魔法ワールド公式サイトに掲載されているアズカバンについての記事によれば、吸魂鬼は15世紀ごろに闇の魔術の実験で生み出されている。一方、魔法界全体の歴史は長く、古代エジプトや古代ギリシャの魔術師も記録に残っているほどだ。

これはつまり、吸魂鬼が作られるよりずっと前から守護霊の呪文は使われていたということになる。

もちろん、呪文とは目的に応じて唱えるものだ。だから、吸魂鬼が作られる前から守護霊の呪文があったのなら、守護霊の呪文には吸魂鬼の撃退以外により明確な役割があったということになるのではないか。

守護霊の呪文についてもうひとつ確認しておきたい点がある。幸せな記憶と、悪の心についてだ。

心の清らかでない魔術師は守護霊の呪文を成功させることができないという有名で正当な信念がある。呪文が裏目に出た最も有名な例は、蛆虫に食われた闇の魔法使いラクジディアンの例である。

ローリング、2016年

原作には登場しないが、闇の魔法使いラクジディアンという人物がいる。初出はPS3のVRゲームであり現在は販売されていない “Wonderbook: Book of Spells" で、確かな情報はあまりない。

ともかく間違いないのは、彼が闇の魔法使いであり、守護霊の呪文によって蛆虫を召喚し、それに食われて死んでしまったということである。

これは一見守護霊の呪文が失敗した結果のように思える。しかし、この記事では「呪文が裏目に出た (spell backfiring)」と語られており、この結果が守護霊の呪文の失敗例ではなく、むしろ呪文が期待しない形で成功した例であることを示唆しているとも読み取れる。

この記事から読み取れることとして、私は以下の2つを挙げたい。

  • 守護霊の呪文は非常に古く、吸魂鬼対策以外の目的を持って作られている
  • 守護霊の呪文には必ずしも期待したとおりの結果をもたらすとは限らない側面がある