マルフォイ家は本当に貴族だった イギリスと貴族の長い歴史
機密保持法に至るまで
マルフォイ家が裕福な暮らしを続ける一方で、世界では混乱が広まっていました。魔女狩りです。
史実とは異なり、魔法族が実在した「魔法ワールド」では14世紀から魔女狩りが始まりました。魔女とされた人物を拷問して自白を強要し、火炙りにかける残酷な私刑行為です。ほとんどの魔法族は魔法で難を逃れましたが、誤解されただけの無関係な市民が多く犠牲になりました。
しかし、なぜ14世紀だったのでしょうか。
おそらく、14世紀のヨーロッパに蔓延した疫病、虫害、寒害、飢饉が人々を疑心暗鬼にさせたのでしょう。マグルはそれらの害が自然によるものか、魔法によるものか区別できません。なまじ魔法の存在を知っているだけに、疑心暗鬼に陥ってしまった可能性は大いにあります。
残酷なことに、魔法族の側にも実際に疫病の陰でマグルを殺害したとされる人物がいます。14世紀のニコラス・マルフォイは当時流行していたペストを装って多くのマグルを殺害したことで知られています。もちろん、同じような行いは他の魔法族にも可能だったことでしょう。
まだ14世紀には疫病は淀んだ悪い水や空気から生じる瘴気によるものだと考えられていましたし、虫害や寒害についてもそのメカニズムは明らかになっていませんでした。もし魔法族が魔法で対処したとしても、それはマッチポンプに見えたのではないでしょうか。
こうしてマグルと魔法族の間に対立感情が芽生えました。魔女狩りは過激化し、1692年から1693年にかけてはセイラム魔女裁判という悲劇も起きました。100人以上が魔女として告発されたこの事件は史実にも記録されていますね。
過熱する魔女狩りから逃げるため、そして悲劇を避けるために、魔法族は世界全体でマグルから隠れ住むことを決めました。「国際魔法使い機密保持法」は1689年に成立し、1692年に施行されました。この日を境に、魔法族はマグルと袂を分かったわけです。
機密保持法とマルフォイ家
マルフォイ家は当初、機密保持法に反対していました。彼らは高い地位を有するため、主に農村部の集団ヒステリーだった魔女狩りとは無縁です。それに、マグルの貴族社会という財源を手放すわけにもいきません。荘園にいるマグルの農奴はどうすればいいのでしょう?
しかし、機密保持法以降にマグルとの親交を持ち続けるというのは大きなリスクでした。そのかわりに、マルフォイ家は新たな富の源泉を見出しました。魔法省です。
機密保持法の制定に伴い、魔法族だけの社会と経済が生まれました。当然、統治する機構も魔法族のみによって運営されます。見方を変えればそれは新たな市場と、その頂点です。マルフォイ家はそこに目をつけました。
まず、マルフォイ家はマグルと結びついていた過去を徹底的に消していきました。それは経済的なつながりだけではなく、過去の婚姻関係も含みます。ドラコの態度を知っている私たちにとっては驚くべきことですが、マルフォイ家が純血であるというのは作られた歴史なのです。
そして、これまでマグル社会で蓄えてきた莫大な富を投じることで、マルフォイ家は魔法省にとても強い影響力を有するようになりました。創立したばかりの魔法省にとって、融資や寄付を惜しまないマルフォイ家に頼らないということは難しかったでしょう。
また、マグルとの交流こそ途絶えましたが、マルフォイ家の荘園は依然としてマルフォイ家のものでした。これは想像ですが、マグルの荘園で営まれているような農業や畜産業、ワインの醸造などを農奴ではなく魔法や魔法生物によって可能にしたのではないでしょうか。
魔法で富を生み続ける荘園と、富と引き換えに権力を与えてくれる魔法省。マルフォイ家は見事にこの転換期を乗り越え、新たな時代の貴族となりました。
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