マルフォイ家は本当に貴族だった イギリスと貴族の長い歴史
マルフォイ荘園の始まり
イギリスの魔法族としてのマルフォイ家の歴史は、11世紀初頭まで遡ることができます。
フランス生まれの魔法使いアーマンド・マルフォイは、ブリテン島を侵略するノルマン人の軍勢に加わり、イギリスに渡りました。後にイギリス国王となるウィリアム1世によるノルマン・コンクエストです。アーマンドは魔法でウィリアム1世に奉仕しました。
ウィリアム1世はノルマン人を率いてブリテン島を征服し、自らの王朝を立ち上げました。その戦いにマルフォイ家が参加していたという事実は、作中では語られていませんでしたね。もしかすると、マグルの戦争に参加していた過去を隠そうとしていたのかもしれません。
この時代、魔法族はまだマグルとともに暮らしていました。だから、ウィリアム1世の家臣としてアーマンドが魔法を使って主君に奉仕していたこと自体は、驚くべきことではありますがおかしなことではありません。
重要なのはマルフォイ家が行った奉仕の対価です。この奉仕に応える形で、ウィリアム1世はアーマンドにウィルトシャーの土地を与えています。
ウィルトシャーはイングランド北西部、ウィリアム1世が臣下に忠誠を誓わせた儀式の地としても知られています。また、世界文化遺産に認定されたストーンヘンジがあることでも有名です。
王から土地を与えられる。これはつまり、アーマンド・マルフォイが封臣だったことを意味するといってよいでしょう。簡単に言えば、アーマンドはウィリアム1世を主君とし、土地の分配を受ける代わりに軍事面での奉仕が義務付けられる主従関係にありました。
土地を持っているというのは、農村社会においては大きなアドバンテージでした。その土地で農奴が育てた作物などから税を徴収することができましたし、麦の脱穀や製粉に使う水車小屋、ワインの生産に使うブドウの圧搾機などの使用料もその土地の領主に回収する権利があります。
さらにはこういった土地の特権が世襲されるようになると、その土地一帯が独立国家のようになり、君主の権力が及ばないようになっていきます。マルフォイ家が現代に至るまで保有している土地というのは、そういった性質の土地なのです。
こういった、封建制度の中で君主から土地を与えられた特権階級を諸侯、封建貴族と呼びます。
つまり、マルフォイ家はウィリアム1世の封臣から始まった由緒正しいイングランド貴族なのです。
マルフォイ家の富とマグル社会
17世紀末に魔法族がマグルから隠れて生きることを決めるまで、魔法族とマグルは同じ社会で暮らす隣人でした。そして、その環境があったからこそマルフォイ家は魔法界でトップクラスの富を得ることに成功しました。
アーマンドが11世紀にイングランド貴族となって以来、マルフォイ家は貴族社会を渡り歩いてきました。豊かなマグルたちとの政治的な交流のなかで、時にはウィリアム1世にしたような魔法によるサービスを提供したこともあったでしょう。
当時の貴族社会にどの程度魔法族がいたのかはわかりませんが、少なくともウィリアム1世に土地を与えられた封臣の一族という地位はマグルの貴族たちにとって敬意を表するに値するものだったことは間違いありません。そこに魔法という特別な技能が合わされば、富を生むのは容易いことです。
マルフォイ家はウィルトシャーに保有する土地を拡大し続けました。もちろん、土地はただ持っているだけでは豊かになるどころか、むしろお金がかかるものです。歴史上、ほとんどの貴族は道や建物の維持費に悩まされ続けました。
しかし、マルフォイ家には魔法があります。杖の一振りで道が整備され、建物が修繕される世界で、維持費を気にする必要があるでしょうか? それどころか、屋敷しもべ妖精の奉仕によって労力すらかからずに管理されていたのかもしれません。
豊かで特別な力を持った貴族として、マルフォイ家は王族とも良好な関係を築き、裕福なだけでは手に入れることの困難な芸術作品やその他の宝物を入手しました。こういった貴重品は権力の象徴でもあります。
こうしてマルフォイ家は絶大な富と権力を手にしました。一説によれば、エリザベス女王が生涯未婚に終わったのは当時の家長であるルシウス・マルフォイ1世が求婚を断られた腹いせに呪いをかけたためともされています。それはつまり、女王に求婚できるほどの地位がマルフォイ家にはあったということです。
しかし、今のマルフォイ家はマグルとの関わりを否定し、それどころかドラコが「穢れた血」と差別的な表現でハーマイオニーを罵倒するほどに反マグル的です。一体、何が起きたのでしょうか?
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