ホグワーツの建築様式はいつ変わったのか? 下水管とゴシック・リバイバル

2024年3月20日

まとめ

この記事では、ホグワーツがゴシック・リバイバル様式を採用するまでにどのような過程を経たかについてと、その過程として大きな役割を果たした下水道の敷設についてを考察しました。

ホグワーツは当初ゴシック建築ではなく、今は存在しない10世紀当時のスコットランド様式の修道院を模して建てられたと私は考えています。その後、下水道の敷設に伴って有力者を説得するための釣り餌としてゴシック建築を採用したのではないでしょうか。

ホグワーツの建築についてはまだ明かされていない部分も多いです。いつか創設期について公式の作品で語られる日が来るのでしょうか。楽しみですね。

参考文献

ヒュー・ブラウン『英国建築物語』1980年、晶文社

J. K. ローリング『ハリー・ポッターと秘密の部屋』2000年、静山社

同上『ハリー・ポッターと炎のゴブレット 下巻』2002年、静山社

ノーマン・デイヴィス『アイルズ 西の島の歴史』2006年、共同通信社

P. ディンツェルバッハー / J. L. ホッグ編『修道院文化史事典』2014年、八坂書房

浜林正夫『イギリス宗教史』1987年、大月書店

日本建築学会編『西洋建築史図集 三訂版』1983年、彰国社

  1. ローリング、2000年 p. 224 ↩︎
  2. ディヴィス、2006年 p. 342 ↩︎
  3. ブラウン、1980年 p. 64 ↩︎
  4. もちろん、今後『ホグワーツ・レガシー』のような形で創設者の時代を垣間見る日が来れば、彼らが備えていた脅威について知ることができるかもしれない。その日が来たら新しい記事でそれを祝い、過去の私の浅慮を恥じよう。 ↩︎
  5. ディンツェルバッハー/ホッグ、2014年 p. 14 ↩︎
  6. 浜林、1987年 p. 98 ↩︎
  7. 日本建築学会、1983年 p. 160 ↩︎
  8. この下水工事によって秘密の部屋は下水道とつながってしまった。詳しくはこちら ↩︎
  9. もっとも、まだマグルが発見していなかった公衆衛生の概念を魔法族が持っていたかは疑わしい。当時の校長は聖マンゴの癒者だったディリス・ダーウェントであり、公衆衛生との関連性の示唆は見て取れる。 ↩︎
  10. ローリング、2002年 p. 162 ↩︎