ホグワーツの建築様式はいつ変わったのか? 下水管とゴシック・リバイバル
越境的で平和的な建築物とは
では、一体ホグワーツはどのような姿だったのでしょうか?
ホグワーツはブリテン全土から才能ある生徒たちを集め、教え導くための空間です。そして、ホグワーツは全寮制であり、彼ら彼女らはその学び舎で寝食をともにします。十分に技を磨くまでは巣立つことも許されなかったことでしょう。
ホグワーツは最初から生徒を集めて指導するという集団生活を送ることを前提として創設されました。それはつまり、集団生活に適した建築物を設計し、建設しなくてはならないということです。当然、ゼロから考えるよりもモデルになる何かがあったほうが考えやすいはずです。
ちょうどこれと同じようなスタイルで生活しており、さらに周辺の警戒を買いにくい建築物が当時のブリテン島には存在しました。それはもしかするとホグワーツとは一見似ても似つかないと思われるかもしれません。しかし、冷静に照らし合わせてみると、一致する点が多いのは確かです。
ホグワーツのモデルは、修道院なのではないでしょうか。
修道院はキリスト教の信徒の中でも特に敬虔で、人生を信仰に捧げる修道士たち、そしてその生活を支える助修士たちが世俗から離れて共同生活を営む場です。彼らは地上のものを捨て、禁欲的に信仰を高めることで知られています5。
修道士たちは制服を身に纏い、聖書を読む講堂があり、そこでは神学の議論が交わされます。教育制度が充実しており、多くの書物を有し、写本のための空間も用意されていたようです。その一方で生活のためにハーブ園が設けられていたり、醸造所があったり、病院や鍛冶工房、厩舎に家畜小屋まで揃っているところもあります。
どうでしょうか? 教える内容こそ違えど、これはかなりホグワーツに近いのではないでしょうか?
何よりも、修道院は信仰のために俗世から離れた人々の集いであり、それは領主たちにとってさほど危機感を煽るものではありません。それどころか、中世の信仰において理想とされたのは修道士たちの生き方であり、領主たちは尊敬の念すら向けたことでしょう。
表向きは修道院、しかしその実態は魔術学校。この構図はなんともサスペンス的でワクワクしませんか?
修道院という説を採用するメリットはただの秘密的ワクワクだけではありません。修道院は旅する巡礼者の宿も兼ねています。巡礼者は野盗に狙われやすく、野盗から巡礼者を保護するために堅牢な建築であることが多いのです。現在のホグワーツとも共通する特徴ですね。
もう一つの問題、建築様式
もしホグワーツが修道院を模して建てられたとして、その建築様式はどのようなものだったのでしょうか。
残念ながら、現在のイギリスには当時の修道院というものはひとつも現存していません。16世紀の宗教改革で修道院が廃止されたためです。国庫を潤わせるために修道院の財産を狙って敢行されたこの廃止6によって、10世紀末にもあったはずの修道院は今やいくつかの遺跡を数えるのみとなってしまいました。
6世紀なかば、アイルランド出身の僧である聖コルンバによってスコットランドにキリスト教が布教されました。その際、スコットランドの西にあるアイオナ島に修道院が築かれました。スコットランドの修道院を考えるのならばおそらくこの修道院を原型とすべきでしょう。
しかし、残念ながらこの地も遺跡と化しており、当時の面影はいくつかの壁が残るばかりです。
幸いにして7世紀末にイギリスのノーサンブリア王国中心部にあたるウィットビーで建てられた修道院跡の写真が見つかったため、これを代わりに掲載しておくことにします。
長く取られた広間、高窓とアーチ、特徴的なファザードなど、ホグワーツ城と共通する点はいくつも見受けられますね。ホグワーツ城は当時から今の形に近かったと主張することも可能でしょう。
しかし、おそらく似てはいてもそのままの姿というわけではありません。ホグワーツが多く備え、学ぶ呪文の分野によって使い分けてすらいる尖塔はゴシック建築より前のイギリスではほとんど見られないと言っていいからです。
尖塔の流行はゴシック建築に端を発します。イギリスにおける代表例はソールズベリ大聖堂でしょう。13世紀に短期間で建てられた教会で、初期イギリスゴシック建築の好例とされています7。
この大変美しい大聖堂を見て「ホグワーツに似ているな」と思わなかったでしょうか。ホグワーツはゴシック建築として見た時にソールズベリ大聖堂によく似ていると言われています。
ホグワーツは複数の塔を渡り廊下でつなぐことでひとつの城として機能しています。このような建築を様式としての前例がないままで創始者たちが一から作り上げたとは考えにくいでしょう。それならば最初からひとつの建物にしてしまえばよいからです。
ここで時代のパラドックスが生じます。
ホグワーツ城はゴシック様式を参考にしています。しかし、ゴシック様式はホグワーツ城が建てられた当時には存在しません。このパラドックスを解消するためには、「ホグワーツは後世に改築されたのだ」と言うしかないでしょう。
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