ホグワーツの建築様式はいつ変わったのか? 下水管とゴシック・リバイバル

2024年3月20日

大人気『ハリー・ポッターシリーズ』に代表される「魔法ワールド」を象徴する建物と言えばなんでしょうか?

イギリスの魔法使いや魔女の学び舎、湖畔に佇むホグワーツ城は象徴に相応しい建物でしょう。

天を突くような急勾配の屋根、イギリスの有名な教会・ソールズベリ大聖堂を思わせる円錐状の尖塔、連なる優美な出窓、その内側では見事な石造りの天井と美しく組み上げられたアーチを目にすることができます。

可能なら一度は行ってみたい、そう思わせる見事な建築ですね。

しかし、実はこれ、建築史的にはおかしいんです。

これらの特徴はゴシック建築に見られるものです。しかし、ホグワーツが創立された10世紀末にゴシック建築という建築様式はイギリスにはありませんでした

この記事では、建築様式の変化とホグワーツに施されたとある改修工事から、なぜ・どのようにしてホグワーツが現在の姿に至ったかを読み解いていきます。

ホグワーツが生まれた時代

ホグワーツははるか昔、1千年以上に創設されました。

ホグワーツで長らく魔法史の教授として勤めているビンズ先生によれば、正確な年号は不明1とのことです。しかし、ビンズ先生が「1千年以上前」と発言したのが1993年であることから、少なくとも993年よりも昔ということになるでしょう。

10世紀末、ホグワーツが創設されたスコットランドのハイランド地方はどのような状況にあったでしょうか。

この時代、スコットランドは様々な民族が入り乱れ、時に協調し、時に敵対する複雑な勢力図を描いていました。北方からはスカンディナビア半島出身のヴァイキングであるデーン人がやってきたし、スコットランド系の諸部族連合であるピクト人とアイルランド系ケルトであるゲール人は緊張関係にありました。

スコットランドとはゲール人とピクト人の共同体「スコティア」に由来する国名です。この時代のスコットランドを「スコットランド王国」と表現する文献も少なくありませんが、スコットランド全土を統治する王国は存在せず、むしろ他の君主に頼る緩やかな大君主として王朝があったようです2

統一されたひとつの王国があるわけではなく、南のウェールズにはデーン人の法律で治められる土地が誕生し、それどころか現在のスコットランドを象徴する都市であるエディンバラはまだアングル人の土地でした。

少なくとも4つ、下手をすればそれ以上の民族が互いに牽制しあい、時には衝突すらする。それが10世紀末のスコットランド、ハイランド地方でした。

ホグワーツは城ではなかった?

ここまで混乱した土地に、各地から人を集めて何かを教える拠点を築くというのは間違いなく一大プロジェクトだったことでしょう。たとえ創設者たちがマグル避けの呪文に長けていたとしても、資材搬入や道の敷設まですべて自分たちだけで果たせたかは怪しいところです。

そうなると、ひとつの疑問が浮かび上がります。

もしかしたら、ホグワーツは当初、城ではなかったのではないでしょうか。

「攻城戦」の言葉が示すとおり、城とは軍事拠点のひとつでした。馬や武器のような多くの軍事力と、食料や衣類を始めとした備蓄を保有することができ、攻められた際には市民の避難所にもなり、防衛のために壁や塔を活用するための場所です3

後にシャトー(しばしば「宮殿」と訳されます)が登場して王侯貴族が居住するための優雅で華やかな建造物としての城が生まれましたが、少なくともホグワーツが創設された10世紀末にはまだ城というものは騎馬隊の突撃から兵や市民を守るものでした。

ふたつの理由から、ホグワーツはこの時代には城ではなかった可能性があります。

まず、創設者たちがスコットランドの現地民たちと上手くやっていくつもりがあったのなら、現地民やその君主をわざわざ刺激する軍事拠点を建てる必要はありません

この時代、まだ魔法族はマグルとともに生活しており、当然入学生もスコットランドを含むブリテン全土からやってきていました。つまり、現地民とは入学生の家族や隣人、そして彼らが仕える君主だったわけです。

軍事拠点を建てるということは、籠城の意思があるということです。それはすなわち、その土地を治める君主に反逆する日が来るかもしれないということを示しています。それは教育機関としてあまり穏やかな態度ではないですよね。

次に、創設者たちが完全にマグルから姿を隠すつもりでホグワーツを創設したのなら、わざわざ軍事面を意識した建築物にする必要はありません。マグルの騎馬隊や投石機に攻撃されることを想定しないのなら、石造の城壁や見張り台が一体何の役に立つでしょうか。

城とはただ建てて終わりではありません。維持と修繕には相応のコストがかかります。たとえそれらを魔法で補完できるのだとしても、防衛拠点を築くのなら創設者たちは何かからの攻撃に備えていたということになります4

わざわざ学び舎を城にしてまで防衛すべき敵対者。そんな恐ろしい存在が作中に登場していない以上、ホグワーツが最初から城の姿を取っていたというのは、少々疑わしいのではないでしょうか。