「エクスペクト・パトローナム」は何を呼んでいるのか 守護霊の呪文と霊崇拝の歴史
守護霊の呪文を語源から見てみる
魔法ワールドの呪文は原則としてラテン語をベースに構成されている。守護霊の呪文 “Expecto Patronum" をラテン語として分解すると、以下のように分かれる。
- Expecto: exspectō(待ち望む、期待する)
- Patronum: pater(父、祖先)
Patronus(守護霊)についてローリングは “spirit guardian" とも説明している。paterを保護者の意味合いで用いるとしても、この説明とは噛み合わないように思われる。
しかし、『ハリー・ポッターシリーズ』の舞台であるイギリス、すなわちブリテン島にラテン語を普及させたのが何者であったかを考えると、この語は適切に選ばれたことがわかる。ブリテン島にラテン語を普及させたのはキリスト教であり、キリスト教ラテン語においてpaterは教父、または父なる神そのものを意味する。
もちろん、魔法によってキリスト教が言うところの神が呼び出されるわけではない。それに、魔法族自身もキリスト教にさほど親しんでいるわけではない1。
それに、キリスト教の伝来以前から守護霊の呪文が使われていた可能性は十分にありうる。イギリスへのキリスト教の布教は597年、教皇グレゴリウス1世の命にもとづいてアウグスティヌスがイギリスへ渡ったときからはじまる、とするのが通説である2が、これ以前にもイギリスには魔法界が存在した。
また、前章で見た予期せぬ結果としての守護霊にもpaterの語は適さない。こちらについては、キリスト教ラテン語のpaterで解釈したとしても妥当な解釈は生じないように思われる。
キリスト教以前のイギリスにおける守護霊の立ち位置、そして予期せぬ結果としての守護霊がどのようなものであるのかを考えるために、次はキリスト教以前のブリテン島について見ていこう。
ドルイド教と守護霊
キリスト教以前、より正確にはローマ以前のブリテン島で主流な宗教は、ケルト民族のアニミズムから出発したドルイド教が一般的だった。ドルイド教の教義は自然の神格化から発展したため多神教であり、霊魂の不滅と転移が唱えられた。3
霊魂の不滅と転移というのはどういうことか。霊魂は肉体の死後も残り、他の生物に乗り移って生き続けるということだ。仏教風に言うのならば輪廻だが、私はむしろアイヌのカムイに近い考えであるようにも思える。
このドルイド教はキリスト教の流入にあたって弾圧されたかというとそうではなく、教化の過程で緩やかに吸収されていった。ある神は聖人になり、またある神は天使になるという形で、キリスト教の信仰にドルイド教の神が取り入れられていったのだ。
しかし、聖人や天使と違って、もとが自然である神は荒ぶることがある。日本神話の神がそうであるように、自然崇拝から生じた神はしばしば災害の側面を持つ。
ここで改めて守護霊の呪文について振り返ろう。守護霊の呪文は古い守りの呪文であり、そして予期せぬ結果として自らを害するものを呼び寄せてしまう場合がある。この一文の「守護霊」を「自然霊」に置き換えても違和感はない。
不滅の霊魂が乗り移った自然は父祖そのものであり、その霊は父祖であると同時に神でもある。その霊を招く行為を私たちはよく知っている。お祭りである。
豊作祈願、豊漁祈願、そういった自然にまつわる祈りを儀式によって届けようとする行為はドルイド教のみならず世界各地で見ることができる。もちろん、日本でも。
そして、もしその儀式を正しく行えず、荒ぶる霊を呼び出してしまったのならば、相応の結果が待っているだろう。ラクジディアンは守護霊の呪文に失敗したのではなく、荒ぶる霊を召喚したのである。
つまり、こうだ。守護霊の呪文とは本来、自然霊を招来し祈願するための魔法だったのではないか。そして、そこに後から伝播したラテン語が「父祖の霊を招来する」というそれらしい呪文を与えたのではないか。
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